東京地方裁判所 昭和36年(行)136号 判決 1965年7月15日
原告 楠村淳信
被告 内閣総理大臣
訴訟代理人 斎藤健 外四名
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事 実 <省略>
理由
第一、一、原告が太平洋戦争末期、満州において現地召集を受け、陸軍輜重二等兵として満州第三七八〇六部隊に所属、従軍したが、昭和二〇年八月二三日通化においてソ連軍の捕虜となり、昭和二四年六月二七日舞鶴港に帰還し、同月二九日復員したことは、当事間に争いがない。
二、証人今村武、大堀泰、森崎一郎の各証言および原告本人尋問の結果によれば、原告が召集を受けたのは、昭和二〇年七月末ころであること、ソ連軍の捕虜となつてからは、復員するまで、満州およびシベリヤの各地でソ連軍の抑留下に強制労働に従事させられたこと、強制労働はきわめて苛酷なものであり、加えて収容所の施設は貧弱、食糧も乏しく、時を経るに従つて栄養失調となるものが続出したこと、原告は昭和二二年二月ころ、ウラジオストツクの収容所において視力の障害のため歩行に困難を覚え、ことに夜間それが顕著であつたこと、原告は、これを過重な強制労働と栄養失調に起因する夜盲症と考え、ソ連軍に対し治療を申し出たが、専門医不在の故をもつて治療を拒絶され、引き続き強制労働に従事させられたこと、視力の障害は、昭和二三年春ころまで悪化の方向に向い、その後は、平衡状態を保ちつつ復員したこと、復員当時は、左眼は大体良好、右眼も建物の輪郭を識別できる程度であつたことを認めることができる。
三、また、証人楠村成子の証言および原告本人尋問の結果によれば、復員後原告は、体力の回復につれて視力の障害も快方に向うものと考えていたが、案に相異し、年月を経るに至つて再び悪化の傾向を示しはじめたことを認めることができ、また、原告が、昭和三一年、二、三の医師の下で治療を受けたが回復せず、現在は、右眼は視力全くなく、左眼は視力〇・〇六程度で矯正不能であることは当事者間に争いがない。
第二、原告の視力障害の状態が、恩給法第四六条にいわゆる不具廃疾にあたることは、当事者間に争いのないところであり、原告が総理府恩給局長に対し、右不具廃疾は、従軍および抑留という公務に起因するものとし、同条第三項の規定の適用を主張して恩給を請求したところ、同局長は、原告の視力障害は梅毒に起因する視神経萎縮によるものであつて、公務に起因するものとは認められないとして請求を棄却する旨裁定したこと、原告が旧恩給法第二二条第一項の規定により、同局長に具申したが、同様の理由で具申を棄却する旨の裁決があつたことおよび同条第二項の規定により被告に訴願したところ、被告は恩給審査会に諮問し、その答申をえた上、同様の理由で訴願人の請求を棄却する旨裁決したことは、当事者に争いがない。
第三、一、原告は、原告の視力障害は、従軍および抑留という公務に起因することが顕著であるとし、被告の認定を争つているから、まず、この点について判断する。
二、成立に争いのない甲第五号証、鑑定人鹿野信一の鑑定および同鑑定人尋問の結果並びに原告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められ、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。
すなわち、
1 原告の現在の健康状態は、眼の所見以外に特記すべき顕在性の疾患は認められない。
2 病気の状況は、梅毒に罹患し、完全治療になつていないものであり、脳脊髄液に梅毒反応がなく、妻女にも反応がないから、右梅毒は、表在性に病原体が排出されにくい状態になつている潜伏梅毒である。
なお、右梅毒は、先天性のものではなく、昭和二〇年ころ、召集前に罹患の機会をもつたことによるものである。
3 眼疾の程度は、右完全失明、左わずかに光覚らしきものを感じる程度で、完全盲といつてよい。
4 右眼に網膜色素萎縮性の限局性のものがあるが、それは、失明の原因ではない。失明の原因は、視神経の萎縮であり、その萎縮は脊髄癆性視神経萎縮であつて、後期梅毒に根本原因を有するものである。
5 梅毒から脊髄癆となり、脊髄癆から視神経萎縮をきたすには、梅毒罹患後一〇年から一五年の期間を要し、一たん進行を始めた視神経萎縮は、ゆるみなく進行し、早くて数か月、遅くても一二年くらい平均二、三年で失明するものである。原告は、前記2で認定したとおり、昭和二〇年ころ梅毒に罹患したものであるから、昭和二二年から昭和二四年ころまでの期間の原告の視力障害を、視神経萎縮によるものとすることは早期にすぎる。
さらに、前記第一において認定したとおり、当時の症状の進行の経過は、ゆるやかであり、左眼に比較し右眼に強い障害を残していて左右差がはだなだしすぎる。右期間の視力障害は、栄養失調による夜盲によるものであり、その他、右眼には先天的の素因による網膜色素萎縮が加わつたものである。
6 前記5の夜盲は、現在、痕跡を残さず治癒しており、右眼の網膜色素萎縮性は、先天性素因よるもので、原告においては右眼のごく限られた部分にだけ見受けられるものであるが、この程度のものだけでは失明には至らないものであり、また、これと視神経萎縮との間には、何ら相互関連性は存しない。
7 梅毒による視神経萎縮が進行し始めたのは、昭和二九年ころと考えられ、原告はそのころ以降診察、治療を受けたが、昭和三三年には、殆んど失明状態になつていたものである。なお、視神経萎縮は一たん進行を始めた後は、これを治癒することは、今日の医学においてもきわめて困難であり、原告の場合も、昭和三一年ころペニシリンを使用して抗梅毒療法を行つたが、その進行を止めえなかつたものである。
8 原告の抑留生活における栄養失調、肉体的重労働、捕虜としての精神的苦痛が本症患発現に全く影響を与えなかつたとはいえないが、明確な決定的なことはいえない。
三、以上認定の事実によれば、原告のシベリヤにおける抑留生活が言語に絶するものであり、その間の食糧の欠乏、重労働、心労等が帰国後の視力障害に全く影響しなかつたとまではいえないにしても、原告の視力障害は、梅毒を根本原因とする脊髄癆性視神経萎縮によるものであり、右抑留期間中に発病した視力障害と帰国後の右視神経萎縮とは、別個のであつて、原告の視力障害が従軍および抑留という公務によつて生じたことが明白であるとは断定できないもということができる。
したがつて、原告の視力障害が従軍および抑留という公務に起因することが顕著であるという原告の主張は、理由がない。
第四、原告は、原告の視力障害は従軍および抑留の期間を通ずる医療施設の不備により促進されたもので、もし医療施設が整備されていれば、早期に駆梅療法を行なうことができたと主張する。
しかし、原告の抑留中における視力障害は、梅毒とは全く関係のない栄養失調による夜盲および網膜色素萎縮性によるものであること、原告の梅毒は潜伏梅毒であつて、原告自身が梅毒罹患の事実を知り抗梅毒療法を行なつたのは昭和二九年ころ以降昭和三一年ころのことであつたことは、第三において認定したところであり、これに、前記鑑定および鑑定人尋問の各結果によれば原告の潜伏梅毒は、本人の申出または強制的な定期、採血検診が行なわれないかぎり発見困難なものであると認められることを考えあわせると、ウラジオストツクの収容所抑留中の医療施設がきわめて不備なものであつたことは、原告本人尋問の結果により推知することができるけれども、従軍および抑留の全期間を通じ、医療施設が整備していたとしても、原告の梅毒を発見し、治療を行なうことができたものとは断じえなかつたものというべきである。したがつて、公務中の医療施設の不備を攻繋する原告の主張も、理由がない、
なお、原告は、あわせて抑留中医療施設が整備されておれば、十分な治療を受けて栄養失調を免れ、ビタミンB1の投与も行なわれていたはずであり、これにより視神経萎縮の発病を防止することができたとも主張している。
前記鑑定および鑑定人尋問の各結果中には、ビタミンB1の欠乏が脊髄癆性の視神経萎縮の発展に一役演じており、ビタミンB1の投与が脊髄癆に有効であるとする学説が存在するとする部分および前述のように、医学的にみて、栄養失調、肉体的重労働、精神的な苦痛が原告の視神経萎縮の発病に全く影響なしということはできないとする部分が存するけれども、前段の部分は、二、三の学説を紹介したにすぎないものであり、後段は、栄養失調等があらゆる意味で視神経萎縮の発病に無関係であると断言できないことを述べたにとどまり、積極的に両者の間に因果関係の存在を認めたものではないから、この点に関する原告の主張も理由がない。
第五、原告は、原告のような比較的無力、虚弱な体質の者を召集した国家の責任を主張する。
前記鑑定および鑑定人尋問の各結果並びに原告本人尋問の結果によれば、原告がそのような体質であること、視神経萎縮等の脊髄癆性症状は、そのような体質の者に多いことが認められるけれども、前認定のとおり公務と視神経萎縮との間の因果関係が認められない以上、戦前における兵役の義務を道義的に非難することはともかく、本性において、その故をもつて原告の視力障害を公務に起因すること顕著であとみることはできない。
第六、原告は、ソ連抑留中に死亡しまたは不具廃疾となつた者と原告の取扱いとの間に不公平が存在することを主張する。
しかし、かりにソ連抑留中に死亡しまたは不具廃疾となつた者について原告主張のような取扱いがなされたとしても、前記認定のように、原告の視神経萎縮が公務に起因するものと認められない以上、それにもかかわらず同様の取扱いを受けるべきことを主張することは、許されないものというべきであるから、その心情に同情すべきもののあることは別として、その主張は理由がない。
第七、原告は、恩給局長が原告の恩給請求を棄却する旨裁定するにあたり、恩給審査会の議に付さなかつたことは、違法であると主張する。
しかし、恩給法第四六条第三項の規定は、裁定庁が積極的に増加恩給を裁定しようとする場合につき、公務員の退職と不具廃疾との間に五年以上の期間を経過しているときは、中間における時の経過にかんがみ、同条第一項、第二項の場合に比較し、支給裁定の要件をより厳格に紋つたものであつて、請求を棄却する旨の裁定をする場合についてまで常に恩給審査会の議に付すべきことを要求しているものではなく、裁定庁は不具廃疾が公務に起因することが顕著であると認められる場合にはこれを恩給審査会の議に付すべきものであるが、不具廃疾が公務に起因するものであることが顕著であると認められない場合には、恩給審査会の議に付することなく請求を棄却しうるものと解されるところ、本件の場合においては、原告の不具廃疾が公務に起因することが顕著であるといえないことは前述のとおりであるから、恩給局長が原告の恩給請求を棄却するにつき恩給審査会の議に付さなかつたとしても違法とはいえない。したがつて、原告のこの点の主張も理由がない。
第八、原告は、被告の諮問によつて行なわれた恩給審査会の審査の違法性を主張する。
成立および原本の存在に争いのない乙第一号証によれば、被告の諮問による恩給審査会においては、原告主張のように、二十数件の事案が一日で審査されたことを認めることができるけれども、その故に実質的な審議が行なわなかつたとすることはできないし、他に原告の主張を認めるに足りる証拠はない。この点に関する原告の主張も理由がない。
第九、結局、原告の現在の視力障害は公務に起因したことが顕著であつたものと認めることはできず、原告の恩給法第四六の二、第三項に基づく恩給の請求を棄却した恩給局長の裁定は適法であり、訴願手続も違法といえないから、原告の訴願を棄却した被告の裁決は正当である。
よつて、原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 位野木益雄 矢口洪一 高林克巳)